【ネタバレチュウイ】劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語の感想 その2
BD/DVDも発売されましたので、ネタバレありで改めて感想を書いてみようかと思いました。
暴走満載、勝手解釈申し訳ありません。
ネタバレされたくない方、内容を知りたくない方などは、絶対に続きを見ないでくださいね。
だいたいの物語
①魔法少女みんなでナイトメアと戦う
②ほむらが違和感を感じる
③ほむらは杏子に協力を依頼、この世界が魔女空間であることを突き止める
④ほむらはべべが魔女空間を作っていると怪しみ攻撃、マミと戦闘となる
⑤だが、この世界はほむら自身の魔女結界だったことがほむら自らが
⑥テレビ版まどか円環後の再編された現実世界にて、ほむらから過去の話を聞いたキュウべぇは効率的なエネルギー搾取の構造研究のため、ほむらのソウルジェムを干渉遮断装置に閉じ込め研究
⑦干渉遮断装置の中ではまどかの円環の理による救済を受けられないため、ソウルジェム内で魔女化状態となっていた
⑧キュウべぇは、ほむら魔女結界内にしか存在しておらず、現実世界にはいなかった「まどか」が円環の理と何らかの関係があることを確信
⑦キュウべぇはほむらが魔女化したエネルギーが、現実世界での魔獣退治時より膨大であることを確認、全魔法少女の魔女化を阻止している円環の理、まどかを支配しようと計画した
⑧ほむらを通して円環の理、つまりまどかを支配する足がかりにするため、キュウべぇはほむらにまどかに助けを求めるよう打診
⑨ほむらは拒否し、自ら死を選ぶ
⑩キュウべぇのまどか支配を阻止する為、マミと杏子が自分を殺してくれることを期待し結界内で魔女化
⑪しかし、さやかとべべ(なぎさ)は円環の理からまどかが派遣した使いであり、すべてを把握済み、皆に事情を説明しまどか・さやか・マミ・杏子・なぎさはほむらを救い円環の理であるまどかに救済してもらおうと、干渉遮断装置を破壊
⑫干渉遮断装置破壊に成功、現実世界へ
⑬円環の理からまどかがほむらの救済に迎えに来る
⑭まどかがほむらを救おうと手を繋いだその瞬間、まどかの人間部分のみを円環の理から引きちぎる
⑮同時にその力の一部を奪い、ソウルジェムをダークオーブへと変化させ、ほむら悪魔化
⑯悪魔ほむら、まどかが再編した世界をさらに再編する
⑰再々編後の世界で、まどかは円環の理から引きちぎられた状態、さやかは全記憶有り、マミ杏子なぎさは記憶なしで、見滝原中学校にまどかが転校してくる所から再スタート
⑱ほむらはまどかに、「欲望と秩序」どちらが大事かを聞くも、まどかは秩序が大事と応える
⑲まどかはこの世界に違和感を持ち、円環の理に戻ろうと不安定化
⑳それを抑えこみ「いつか敵になるかもしれないが、それでもあなたが一番大好き」と告げまどかにリボンを返す
㉑エンドロール
㉑キュウべぇが悪魔ほむらの前に現れる
㉒キュウべぇぼろぼろの状態、ほむら崖から堕ちる描写
㉓終わり
鹿目まどか
テレビ版では、まどかが犠牲になることによって、世界を救い終焉を迎えました。大団円だったと思います。
でも、本当に犠牲になったのかと感じていました。違和感がありました。
もちろん神様になってひとりぼっちになることは、本当に寂しい事だろうけど、それは人間的にそうだというだけであって、神様的にはとても心地良いことかも知れません。
誰かに会いたいとか、そういった事じゃなくて、もう皆こっちこいよ、もしくは、ほっといてくれ、みたいな。
誰かを欲しているのであれば、それは、神になりきれていないのではないでしょうか。
だから、円環の理になったけど、ひとりぼっちになった訳ではないのかもしれません。
今回、円環の理の考えに色々幅があって、これが意図してなのかどうなのかすごく気になっています。みんな取り込まれてるときは一人ぼっちなのか、どうなのか、とか。
とにかく円環の理から、きゅうべえの不穏な動きを察知して、ほむらを救うために、さやかとべべにお願いした。
というか、まどかが家族と離れ離れになって、友達にも会えないしさやかとは会えてる?のかもしれないけど、今後の出会いとか人生のすべて何も無い訳だし、ようするに、ほむらは、まどかが普通の人間としての日常を全うできないのがいやなのかもしれない。
ほむらは、花の丘でまどかの本心を聞いて、円環の理にさせたこと、それが自分が弱かったからだということを後悔して、なんとかしたいと思ったけど、わからなくて、きゅうべえに干渉されるぐらいなら、死んだほうがいいと思ってマミさんと杏子に魔女ほむらを殺してもらおうと思った。でも、外にででまどかと手を合わせた瞬間、悪魔になろうと決意したのかも知れない。
きゅうべえを配下にして魔法少女にさせないようにして、尚且つ、まどかを円環の理から救うしかなかったと考えられる。
円環の理をどう考えるかで、かなり違いがある。
ほむらは、まどかに普通の世界で、家族とか友だちとかと一緒に幸せに暮らしていて欲しいと思ってるんじゃないでしょうか。それは、魔法少女の否定にも繋がるけど。
テレビ版では、まどかが絶望を引き受け神様に、それ以外は円環の理へ吸収消滅するはずだったから、まどかが絶望だけのひとりぼっちの世界にいるような感じだったんだけど、叛逆では、全部、まどかと円環の理が一緒になってて、円環の理から色んなものを派遣できるようになってる。
それを、ほむらは知ってたのかなあ。
だから、ほむらに隙を与えてしまったのかもしれない。
好きを与えてしまったと言えるのかも知れません。
というか、本当のまどか自身を全然みせていない気がします。
ほむらが魔獣との戦いで穢れをため、きゅうべえにソウルジェムを隔離されたから、まどかは円環の理から出てきたとも言えるわけで、
非常に危険だと思いました。
だから、まどかの事とか、全部ほむらの勘違いだったら、ほむらが騙されているだけだったとしたら。まさに叛逆。
ほむら救済エンドが一番自然だったと思います。円環の理にはまどかしかいなくて、まどかとほむらで円環の理しとけばよかったんだ。
新編でもほむらはそう考えていて、まどかの本心はひとりぼっちは寂しいという気持ちに辿りつく。まるでそういう順序だったように。
それは、ある意味でまどかの隙だったのかな、とも思います。でも、そうさせていたようにも思う。
その隙が、またほむらをダークサイドに陥れてしまった。
一種の総受けですよね、まどかは。そういう意味では、まどかこそが悪なんじゃないかと思ったりしてしまいます。
僕みたいな適当な人間からすれば、まどかはすごく怖い人です。でもとてつもなく興味がある。すごくすごくすべてを知りたくなる。僕も深みにはまってしまうと思います。現に僕は、まどかマギカの深みにはまって、こんな駄文をしたためている訳です。
僕は、まどかの考えはほんとに素敵だと思ってるし、出来る事ならそうしたいともいつも思ってるけど、でも、誰のことも考えてないというか、もっと言うと、まどかが一番身勝手な気もしているんです。
勝手というか、無邪気というか。
私がこう思ったからそうする、みたいな。
だから、まどかもほむらも、きっと似たもの同士なんですよね。
ただ、まどかマギカの面白さは、キュゥべえじゃなくて、全部まどかの発信だと思うんです。
物語を面白くしてるのは、間違いなくまどかだと思います。
天才的な人物じゃないかと思うんです。自身でも気がつかずに、最適な解を見つけてるというか、誰かに取ってじゃなくて、自分にとっていいことがそのまま、まわりは大変だけど、もっと遠くから観ている人や物語にとって面白いことになるという、めったにいない天才的な人なんじゃないかと思います。
たまに現実でもいますよね、何が何だか分からないうちに気がついたら巻き込まれてしまってて、その時代を面白くする台風の目になる感じの人。だから時代が求めたのかな、とも思います。時代が動くときに、まどかみたいな人を求めたというか。
もう、何にせよ超危険人物ですよ、全く。
そういう人に惚れてしまったら大変ですよ、全く。
ほむらをみれば分かる。
本当は近付いたら駄目な人なんですよ。
でも、ひとりぼっちは駄目だよ、なんて言うわけでしょ。
超危険ですよ。
だからまどかが神様になったのかな、と思いました。それとも、もしかしたら本当は全てを操る悪魔なのかもしれませんよね。だからこそ新編では、ほむらが自分の気持ちもあると思うけど、執拗に助けたがったのかな、とも感じました。まどかを二つに割るほどに。
だからこの先がもしあるなら、全てを操る組織が一人じゃなくなってるということじゃないでしょうか。
いや、すべてを操ってるのは、作者なのか。作者が円環の理なのかな。まどかはそれに投影されてるだけなのでしょうか。だとしたら、天才的なのもすごく納得出来ますね。
とにかく自分がまどかについて言いたいことたった一つで、テレビ版のまどかED曲は最高にいい曲なので全員聞くべき、話はそれからだということ
キュゥべえ
キュゥべえは、逐一僕たちに問題を出して、答えを促しているのかも知れません。
そういう意味では、きゅうべえは全く間違ってないと、僕も思います。
ただ、キュゥべえ自体もすべてを知った存在ではないため、メタに物語を外側から見ている存在に成りきれてはいないところも、まどかマギカという物語の不安定さを現しているのかもしれません。
その物語の不安定さが、安定を求めようともがく振動に皆、共鳴しているというか。
でも世の中は、常に不安定なものなので、キュゥべえもまた必要とされ、キュゥべえ自身も生きやすい、まどかマギカの世界に生まれているのだとも思います。
新編では最後、悪魔ほむらに敗北?し、恐怖を感じていたよう見えました。もしかすると、感情に似たようなものを持ったのかも知れません。
キュゥべえ魔女化あるんじゃないでしょうか。ないか。そもそも性別不明だよな多分、キュゥべえは。
何にせよキュゥべえは、すごく頭の切れるやり手の営業マンという感じです。エントロピー社に帰って社長に怒られてなきゃいいのだけれど。
必要悪という言い方は好きくないけど、キュゥべえは悪になりきれていないところに愛嬌があるというか、本当の悪は別にいるのだという事なのかも知れません。
例えば、作者とか。
美樹さやか
以前から、さやかは救われるべきだとブログに何度も書いてきました。
だって、見返りを求めることがそんなにいけないことでしょうか。それは、人間なら誰しもが考えることです。人として当然です。愛して欲しいと思うことがそんなにいけないことですか。
なら何故さやかは恋に敗れ絶望し魔女になったのでしょう。自ら自決に向かい、ボロボロになるまで戦い、最後は絶望の淵で魔女とならざるを得なかったのでしょう。
それは、ただ運が悪かったからだと思うんです。ただそれだけなんだと思う。たまたまうまくいかなかっただけだと僕は思ってるんです。
簡単に言うと、選ばれなかった、です。
でもそれは、誰しもに起こること。
むしろ、この世界はさやかで溢れていると、僕は思います。
だから、さやかもまた犠牲になったんです。僕たちのために。
いや、本当に犠牲になったのはさやかだけかも知れない。
だから、さやかを救うためだけに、新編を作ってくださったのかと思いました。だって、現実では中々あり得ないことだから。選ばれなかった人は多分、一生選ばれないと思う。それこそ、死ぬか、死ぬのがいやなら生まれ変わるほどに違う道を探さないといけないか、になると思う。
僕は、さやかが一番の思想家だと思ってて、つまり、全員が幸せになる方法を必死に探そうとしているように見えるんです。
さやかはめちゃくちゃ優しい人なんですよ。
だから、僕はさやかが大好きなんです。この世界は優しい人に厳しいです。そんな世界が僕は嫌なんですよ。だから、この世界にさやかは必要なんですよ。
だからこそ、誰が何と言おうと、さやかは絶対に救われるべきなんです。
運が悪くて、少しだけ上手くいかないことがあって、いつもめちゃくちゃ頑張ってるのに泣いている人がこの世界には沢山いて、それをさやかは、いつか何とかできる、何とかしたいと思ってる、と思うんです。
意地になってるのかも知れない、でも、初志貫徹、心を曲げない。自ら心に決めたことを貫く、その剣で。
まるで、指揮者のように剣を空に突付け、皆の涙の旋律を集め、海に返しているんです。
まぎれもなく、人魚なんですよ。
それに、救われたとはちょっと違うけど、僕はさやかが、また大好きだった人達に会えて良かったと思ってる。
そんなこと、現実世界ではあり得ないから。
どんなに努力しても、お金を払っても、時間をかけても、そんなこと絶対にあり得ないから。
それは本来、叶わない夢だから。
でも、世界は再再編された。
結果的に、この世界のすべての人達が幸せになるように、何とかできるかも知れない。
さやかが死んで、生き返って、すごくいい感じになった
大好きだった人に別の彼女がいて、幸せそうな2人を見るのが苦しかったとしても、僕は、受け止めるべきだと思う。円環の理で大きな存在の一部に取り込まれていないで、現実に戻ってきて、めちゃくちゃでもいいから今を生きるべきだと僕は思う。つまり、そこを乗り越えないといけないと、そこから始まるのだと、さやかが時代にそう求められているのだと思います。
だからやっぱりさやかは、全員が幸せであることを望んでるんだと思う。彼にも彼女にも幸せでいて欲しいと思ってるはず。ほむらが言ったように、すべてを忘れる、何もかもを忘れ去ることが出来るなら、それはまた迷うことではあるけれど、さやかならそれを覆せる強さを身につけられると思う。
いや、唯一、そこを突かれるのが一番危ないかも知れないのだけれど。
とにかく僕は、願いとは別の所で、その先に何があるか分からないんだから、結果を真正面から受け止め、逃げずに別の道を探したいと思う。
それを知ってか新編では、状況を的確に判断して行動したり、めちゃくちゃかっこよかったです。生き生きしてた。王子の心臓を刺し、人魚に戻ったさやかは、本当に生き生きしていた。
ただ、痛みは相当な物だと思う。強力な治癒魔法があるとしても、いい気持ちではないだろうと思う。そう、新編でも魔女になる、人魚の魔女を召喚させる時に、やっぱり自決しなければ駄目そうだったのがかなり気になった。人間時代を忘れるために、つまり、過去を受け入れる為に、痛みに耐えられる心を作るために、もしかしたら心を無くすために、心臓に剣を差しているのかも知れない。それがさやかに課せられた、業なのかも知れない。大丈夫だろうか。乗り越えられるだろうか。
でも、僕は、世界が再編されて良かったと思ってる。救われるかどうかは再再編後のこれからに持ち越した訳だし、今度は、さやかもすべての記憶を持っているようだし、それによって悪魔ほむらに狙われるかもしれないような大変な役割を担ってる気もするけど、今はそれを受け入れられる強さもあると思う。もしかしたら、悪魔ほむらに何らかの風穴をあたえることができるかも知れない。もっというと、ほむらと共闘出来る可能性すらあると思う。さやかは変わったし、もっと変われる。乗り越えて欲しいと思う。悪くない展開だと思いました。
テレビ版の最後、涙を流しながらバイオリンを聞くさやかが、僕にはどうしても幸せには見えなかったから。
僕は音楽が好きだから、とても苦しかった。
まどかにごめんね、って言われてたけど、それがまあ救いではあったけれども、あれで、完全に救われた、物語の終わりだ、なんて言い出してたら発狂してたほどです。
願ったこと通りに叶ったし、確かに願いは叶ったんだけど、それでも、ね。そのままだと、ただの悲しい人じゃないですか。負け犬ですよ。以前も書いたけど、僕は、めちゃくちゃでもいいから、そばにいたほうがいいと考えるほうなんです。その先があるんですよ。絶対に。
さやかは、全然本心を言わないんですよ。本当のことを言わない。言えないのかも知れない。
だから、そんな自分をも抱きしめて、許してあげて欲しいと思います。
再編後、杏子とまた会えて本当によかった。再再編後、また杏子と出会って仲良く出来たらいいのに。杏子強いし、さやかも強くなったから、悪魔ほむらが許さないかもしれないけど。
でも、テレビ版で、ワルプルギスの夜との戦いで黒く染まったほむらのソウルジェムを浄化するためにまどかが使ったグリーフシードはさやかのものらしいんですよね。
さやかの強力な治癒魔法は、必ず、この現実世界にもいい影響を与えると僕は信じています。
新編最初に相変わらずのドヤ顔で出てきたとき、「ああ生きてる。。よかった。。」ってちょっと泣いちまった。
僕がさやかが好きな理由がもう一つあって、ものすごく単純に、魔法少女時のかっこよさなんですよ。これめちゃくちゃ重要で、マントしてるでしょ、あれめちゃくちゃかっこいいですよ。やっぱヒーローはマントなんですよ。で、この言葉が生きてくる「奇跡も魔法もあるんだよ。」魔法は無くなっちゃうかも知れないけど、でも、奇跡を作れるとしたら、さやかしかいなくなったんだと思います。
事実、僕自身、さやかに救われた所がかなりあります。
僕も同じ気持でした涙
↓
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=manga&illust_id=39509178
佐倉杏子
杏子はかっこいい。めちゃくちゃかっこ良くて。
食えなかった時期がある人は、リアリストになりやすいんじゃないかと思う。
現実をみて、ちゃんと間違いを正すことが出来る。生きたい、寝たい、食べたいというような人間的な欲望の強い一心から第六感が身について、すごく研ぎ澄まされた人というか。
感情よりも感覚で生きている、能力者のような人なのかも。
職人的かっこ良さがあるし、着物とかめちゃくちゃ似合いそうだし。
ある意味でほむらが一番信頼している人物でもあるし。悪魔にもなろうとする人の信頼に足る人物なんですよね、そういう怖さも持ってる。
職人的なかっこよさは、人を惹きつけるし、誰かのために命を投げることをも厭わない思い切りの良さは感服することしかできない。
でも、ほむらの自決も、さやかの自決も結局止められないんですよね、杏子には。だいたいみんな勝手すぎるんですよ。自分で抱え込みすぎる。杏子もそうしたいけど、周りが酷いからそれも出来ない。しょうがないけど、嫌な役回りです。
普通に行きたかった杏子は、魔法少女になっても、みんなの勝手な振る舞いで普通に生きられない訳です。全く、嫌な役回りです。
だからつまり、そういう人を回りに呼び寄せてしまう人、ということなのかもしれない。頼りになる強くて優しい人なんだと思う。
ひとりぼっちはさびしいもんな、とさやかに言ったけど、本当は本人が一番寂しかったに決まってる。しかも、それをさやかに知られてる可愛さもある。
杏子もさやかと同じく、とても優しい人なんだと思います。
さやかが広さだとしたら、杏子は深さというか。
別のルートかもしれないけど、杏子も世界を何とかしたいと思ってると思うし、それが出来ると確信している所があると思う。
新編の杏子とさやかの戦闘シーンは感動すら覚えて涙が出たけど、何よりも、杏子が幸せそうで良かった。
何というか、新編では一番救われたというか、今まで嫌な役回りばっかりだったから、いい方向に向かうといいなと思う。
大好きな人が、ボロボロになっていって、目の前で魔女になって、自分の力じゃ止められなくて、一緒に死ぬしかないなんて、そんな悲しいことはこの世界に必要じゃないんだよ、やっぱり。本人がそれを目の当たりにする必要もない。見る必要なんかない。それ自体、自身が魔女になるほどの出来事なのに、やっぱりすごい精神力の持ち主なのかも知れない。
新編では、現実ではもう死んでるんだよな、なんて言ってたけど、実は現実で想像できないほどの苦しみを味わっているなんて思ってないと思う。でも、杏子は、そうなった時同じ行動をとると思う。だから、再再編後は、さやかが杏子にすべてを話して、共闘して欲しいと勝手に思ってる。
ほんt,テレビ版の、大好きな人、友だちになれそうな人から奪って行くなんて、本当にキツイ。酷いな、と思ってましたよ。
テレビ版でも、新編でも、そうなんですよね。何か杏子をひとりぼっちにさせようさせようと、見えない力が渦巻いてる。
再編後の世界にさやかはいないんだけど、ある意味では、ほむらとマミさんと楽しくやっていたかも知れないな、とは思います。さやかがいなくて寂しかっただろうけど、ほむら、マミさん、杏子のコンビって淡々と仕事しそうだし。
ほむら世界でのほうが楽しかっただろうけど。
それでも、周りがひどすぎて先に魔女になってしまうから、自分が魔女になることもできないなんて、ほんと嫌な役回りだよね。
だから、僕も杏子大好きなんです。文句ひとつ言わず自分の役回りをちゃんと受け入れてて、めちゃくちゃかっこいいから。さやかと杏子のコンビがすごく好きですね。
強くて優しくて頼りになる、憧れの人なんですよね、全く。
多分、モテモテなんだよ、全く。
世界が再編されて良かった。
さやかと杏子、二人が笑顔で再会できて本当によかった。
再再編後も、何卒よろしくお願いしたいところです。
巴マミ
マミさんは、最強でした。最強の魔法少女でした。
テクニックもすごくて、地の力も強い。何より頭も切れる。
パラメーターが一人だけずば抜けて高い。すごい才能の持ち主なんだと思います。
いつか、ほむらと戦闘になると感じていて、準備していたようにも思えるほどです。事実戦闘状態になったとき、時間を止める魔法をリボンを使い相手と自分に接点を持たせるということで攻略、即接近戦に持ち込むという、めちゃくちゃしびれる展開。
ただ、それが現実になり、悲しかったのはマミさんだと思います。
つまり、人間最強なんですよね。神様や悪魔にはなれない。それがマミさんの素敵な所で、同時に悲しい所でもあるんだと思います。
だから、一番の寂しがり屋でもあるのだと思います。人間だからです。当然なんです。人間として強すぎるんですよ。その世界、人間世界のことなら、いいことも嫌なことも、色んなことがすべて分かってしまうんだと思うんです。
悲しすぎますよ。
そういや、いつだってスーパースターはひとりぼっちだったな、と。
だから、バンドとか組みたくて、意気揚々とバンドを組んでも、結局上手くいかなかったりするんですよね。話とか通じなかったり。
でも、尊敬に値する人物で、後世に名を残す人物なんだと思います。
だけど、孤独。
だから、マミさんも一緒にいる人物を探さないといけないんだと僕は思います。
それが、べべなのかもしれない。
べべはマミさんを食べた張本人だけど、魔法少女になる前、マミさんは運命に食べられてる訳で、だから、マミさんはべべを可愛がってあげて、その運命を受け入れあげて欲しいと思う。これから魔法少女として生きていく為には、べべがそばにいないといけないかも知れない。
チーズって家畜の乳から作られてるんですよね、マミさんとべべは一緒にいないと駄目なんですよ、やっぱり。
そして僕個人的には、大好きだと言ってくれる大好きな人と結婚して欲しいと思ってます。
結婚して、子供を産んで欲しい。失われるはずだった命を何の因果か与えられたのだから、それを次の世代につなげて欲しい。素晴らしい後輩たちや、沢山の子供たちに囲まれて、何の心配もなく余生を過ごして欲しいです。
ただ、マミさんは魔法少女という存在がなくなると、もう、生きられないんですよね。
それは、やっぱりスターだからなんだと僕は思います。
音楽がないと生きられなかった人達のように。
まみさんは、魔法少女になる為に生まれてきた唯一の人なんだと思います。
自分の人生を生まれる前から運命づけられた、ある意味で悲しい人なんだと思います。
今後があるのか分かんないんですけど、マミさんは人間最強として、神や悪魔に対する形で成長してくれたら激アツですよね。例えば、沢山の仲間を集めて戦術と戦略で神と悪魔を追い詰めていくとか。
マミさんと、杏子と、さやかでプエラマギホーリートライアングルとして、追い詰めまくって欲しい。この3人は再再編の世界で共闘出来る可能性があると思う。色的にも信号みたいだし。
だからマミさんは、いつかひとりぼっちじゃなくなって、自分の有り余る強さから来る、たった一つの弱点を許してあげて欲しいと思います。
何故ならそれは、自分の弱さを見せてしまうことは、マミさん自身のせいじゃないから。それは才能の一つ。人間だからです。
特にマミさんは魔法少女になるしかなかった訳で、それは一種の業だと思うんです。
一生、その根拠の弱さと一緒にいなければ生きられない運命なんだと思うし、その根拠を補う才能があって、それ相応の努力をしてきた訳で、その人間な所、つまり、人間臭い所がマミさんのいい所なんだと僕は思うんです。マミさんもその事実受け入れ乗り越えようと必死にレベルアップしているんだと思う。
弱さを見せるところも、何かズレている所も。名前を考えたり、みんなでワイワイしようとしたり、そういう人って人生に絶対に必要なんですよ。周りの人が理解できなかったとしても、いいんです。人間最強だから。そういう人って必要なんです。そういう人って何か、すごく可愛らしさがあるし。
マミさんは、人間の強さと弱さを一手に引き受けているんだと思います。
だから僕は、マミさんが一番幸せになるべき人だと思っています。
絶対に誰よりも、この世界で一番に幸せになるべき人だと、僕は思います。
暁美ほむら
僕は、ほむらがとった行動を100%支持します。
まどかが、家族や友だちと一緒に幸せに暮らしていて欲しいだけなんだと僕は思います。
大好きな人が本当は寂しいと思っていた、というその一点だけで、その人を救うことを決断する。
しかも、本心(欲望)を隠して、秩序のために自分を犠牲にしたと。
しかも、再編後ほむらは、まどかの家族がまどかを知る世界もまどかを知らない世界も見ているんですよね。
もう、充分です。
僕は、それがたとえ、その人が望んでなかったとしても、みんなのためにとった行動だったとしても、そしてそれが僕のための行動だったとしても、まず僕はその人を救い出し、それから、一緒に別の道を考えます。
たとえ、ほむらが夢のなかで勝手に考えたまどか像だったとしても、それでも、家族と離れてるのは変わらないし、その先に贈るはずだった人生もなくなったわけだし、やっぱり、僕は一緒に考えたい。
一緒に考えたいんですよ。
一緒に、です。
今を、現実を見続ける勇気が欲しいんです。
なぜなら、日常は尊い、からです。
最後に
ちなみに、此処で言う「再編後」はテレビ版でまどかが神様になった後から新編ほむら悪魔化までの世界、「再再編後」はほむら悪魔後の世界として書きました。
前半と後半でかなり違いがあり、僕はどちらも好きですが、特に前半、ほむら魔女時の世界でのみんなで魔獣を退治する所こそが、まどかマギカがまどかマギカたる所以ではないかと僕は思います。
命をかけていないぬるく見える戦いだとか、なんか違和感があるモヤモヤした感じだとか、全部が後半へのフラグだし、
続編を作る、ファンの期待、5人揃った魔法少女など、どれも普通では不自然になるはずなのに、それをほむらが想像した結界内世界として描き、僕たちが望んでいるもの以上のものに仕上げてくれた。
ほむらは他の魔法少女の事を全然嫌だと思ってない、むしろ信頼すらしているとか、重要な本心ぽいことも分かったり物語に絡んでる所もある、とにかく、クリエイターの人達のサービス精神もすごかったし、ホーリークインテッドなんか絶対必要だったと思いますよ、何故なら、魔法少女まどかマギカですから。
そのまま、後半の悪魔化を形成する重要な前半だったと思います。前半あっての後半だったと僕は思います。
本当は、ほむらはみんなと楽しく生きていたいだけなんじゃないか、とそう思わせる前半だった。
だからこそ、ほむらが悪魔化してみんなを避けるところがすごく生きてくる。
夢のなかのまどかが、現実の本当のまどかの気持ちかどうかっていうのは、難しいですけど、僕は本当のまどかの気持ちだと思ってて、というか、それがほむらの願望からだったとしても、やっぱり、まどか独りが犠牲になってることが、家族とか友達とかと一緒にいられないということが非常にひっかかるので、本人がどう思ってようが、僕も同じ行動をして別の道を探したいと思います。
ほむら、ただただ上手に生きられない人なんですよね、それが前半のめがねほむらを含むみんなとの活躍ですごく身に染みる。マミさんがホーリークインテッドというのを考えたりする人だ、とかっていうのを知ってるんですよ、他のみんなのこともすごく良く分かってる。ほむらは皆のことが好きなんですよ、やっぱり
新編では、2つの謎?というか、幅があるきがします。
①円環の理がどんな場所なのかについてと、②花の丘でのまどかの本心について、です
花の丘でのまどかの本心について
花の丘でのまどかの本心についてですが、花の丘のまどかはどのまどかなのでしょう。
現実のまどか(円環の理から一部現実化したまどか)なのか、ほむら自身が生み出した、ほむらにとって都合がいいある意味想像上のまどかなのか、ということです。僕はどっちかというと、ほむらの想像上のまどかだと思ってるんです。
現実のまどかであれば、家族と離れるのはいやだということはまどかの本心なので、その理由で悪魔化する根拠は十分だし、大好きな人が寂しいと思っているということで十分だと思います。
でも、ほむらの想像上のまどかがそういうふうに言ってたとしても、本当は家族も友達もどうでもいいと心から思っててすべて自らの意思で犠牲となりアルティメット化したのだとしても、まどかがほむらのことを嫌ってたとしても、僕はやっぱりほむらのしたことに100%納得できるんです。
まどかが円環化して、家族や友達もまどかのことをいないものだと思ってるし、まどか自身もそれを納得してたとして、しかも沢山の魔法少女を魔女化から救済し続けられるし、ほむらも救済して、きゅうべえを円環の理から悪さしないように監視してとか、本当の大団円だと思うんです。円環の理で皆で楽しく過ごして、いずれ家族も来たりして。僕も、すごくいいなと思う。魔法少女として本当に大正解だと思うし、素晴らしいエンディングだと思う。大大団円だと思う。それで終わって良かったと僕もそう思う。
でも、でもですね、それってまどかってどうなのよって思ってしまうんですよ。
現実的に、どうなのよ、と。単純に「お前勝手に何やってんの」です。やっぱりどうしても、まどかの行動が納得できないんですよ僕は。というか、テレビ版ラスト時ではありかな、とは思いました。魔法少女としてというか、自分以外全員救うみたいな事はやっぱり有りなんですよね。いつかそこで会えるかもしれないみたいな。あの状況では大団円だと思った。ほむらもループしまくっててたいへんやったと思うし。でも、その後もずっと考えてて、何か勝手やなあみたいな感じで、いまいち納得できなくなってきて。で、ほむらと一緒で「私なんて言う間違いを。。。」と思ったんですよ。つまり、まどかが自ら本心で寂しいと思ってたとしても、思ってなくても、まあそんな事どうでもよくて、単純に勝手すぎんだろ、と。一緒に考えさせてもくれへんし、手ボロボロやし、とりあえず、一緒に考えようや、と。だから、まどかがどう思ってようが、とりあえずあなたを救って、あなたを救うためには悪魔にならなあかんから、悪魔になって、で、一緒に考えたいのだと僕は思ってるんですよ。僕は、全員が幸せになれる方法はある、と考えたい方なんですよ。めちゃくちゃでも一緒にいたほうがいいと考える方なんです。まあまあ好きぐらいやったら別にいいんですよ、どうでも、円環で一人ぼっちだろうが。でもめちゃくちゃ好きやったら、現実から逃げずに一緒に考えたいじゃないですか。お互いにとっての最善策を。少なくともまどかにとっては全くいいことじゃないですよ、円環化は。
だから、ほむらの一連の行動って、確かに「愛」なんじゃないかなと思うんです。
それも結構広めの。
だから、僕から見たら、ほむらが神様で、まどかが悪魔に見えます。今は特に。
ほむらが悪魔化したのは、希望からだと僕は思います。
まどかの家族とか友達とかは、まどかのことを知らなくなる訳だから別にいいんだけど、ほむらは、まどかが家族といるところも、家族がまどかをしらない世界も見たわけで、どっちがいいか明白だし、おまけに、まどかの手は傷だらけだし。
円環の理について
再編後は、よかったことが多いと思います。だから、まどかのしたことは、まどかが自らを犠牲にして作った世界は、やっぱりある程度正解だったとも思います。希望を抱いて絶望するのは現実にありうるんだ、と。その後、魔女になって絶望に苦しむのが駄目だといってるんだと思うんです。テレビ版で大団円になった時、僕もさやかとほむらの事以外はありかもしれないと思いました。
でも、その二人にとってどうだったのかなってずっと考えてて。
とりあえず、さやかのことに関しては、救われたっぽくなってるけど、全然そうは思えなくて。やっぱり全然納得出来なくて。腕を治すという願いそのものは叶えられて、見返りがなくて自分の愚かさを知って絶望して魔女になる。それって自殺するのと一緒だと思うんです。まどかに癒してもらって絶望を汲んでもらって。でも、現実は変わらない。自分だけが自殺したように、円環の理に導かれて現実にいられなくなる。僕は出来ることなら、円環の理になんかにいないで、現実世界に戻って過去を受け入れるべきだと思っていました。めちゃくちゃでもいいから現実にいるべきだと。さやか、全然救われてないやんけ、ただ死んだだけやんけ、自殺しただけやんけって、ずっと思ってました。
だから円環の理にいる再編後はまだいまいちなんだけど、これからの再再編後のさやかはすごくいいんじゃないか、と思いました。ただ、人魚の魔女を呼び出すときに、本来王子に刺すのを自分の心臓を刺して自殺してるのが心苦しいんですけどね。上にも書きましたが、それは一種の業だと思ってるんです。
ほむらは、そうなんですよね。テレビ版では、ほむらの願いだけが叶えられなかったんですよね。結局誰のことも救えなかったわけです。弱い自分も受け入れられなかったし、覆すことも出来なかった。最後まで負け続けた訳です。やり直してまどかを救うことも、力になることも出来なかった。それをまどかがガラガラポンした訳で。しかも、まどかと会えないし、まどかは勝手すぎるんですよ。だから、まどかが迎えに来てそのまま連れて行って終了だったら、まだ、よかったのかも知れません。それ以外はすべて現実だったんだ、運命だったんだと。それでも、さやかのことはどうしても気になるけど。
でも、それも全部、まどかの気持ちを考えなければ、です。
だから、新編の行動だけを見ると、ほむらは利己的に見えるかも知れないけど、もっと単純で、何よりまどかが犠牲になってんじゃん、と。魔法少女になる原因も自分が作ったし、しかも、しかもですよ、実は本人が家族や友達と離れるのは寂しいって思ってる訳です。
当然、別の道を探すでしょう、何を差し置いても。
まどかの方が利己的だろ、と。何にも言わず、勝手すぎるだろ、と。
残された方の気持ちは?ただ、泣いてるだけ?一生戦ってるだけ?自分が原因を作った弱さは鍛えれば強くなるかも知れないけど、悪魔になれば強くなるかも知れないけど、記憶を変えて時間を戻す事は出来るかもしれないけど、まどかの気持ち、性格までは変えられないかもしれない。
だから、新編でのほむらの行動は100%納得出来るんです。大好きな人が本当は寂しいって思ってる以外、理由なんかいらないですよ。それで充分です。鬼にも蛇にも悪魔にもなれますよ。
だから、さやかとほむらは再再編の世界で、共闘できる可能性があるんじゃないかとか、思ったりします。
さやかが、円環の理でどんな気持ちだったのかにもよるんだけど、僕は、さやかもまどかも現実にいたほうがいい派なので、再再編の世界で、まどかを含む、全員を完璧に救う方法を探せばいい。
それが出来るのは、さやかと、強くなったほむらだけだと思います。杏子も出来るかも。マミさんは魔法少女前提だから大変だけど。
まどかは、なんや言うたら自己犠牲的円環の理を発動しようとする訳だから。
だから、一緒に考えようよ、って言ってあげればいいんだと思うんですよ。僕は。
全員が笑ってすごせる世界はあるんじゃないの、って。それを一緒に考えようって。
全員が幸せになれる方法は、ある、と僕も信じたいし。
だから、新編で気になったこと、というか、どうしても納得できない、何だか落ち着かない不可解なことがあるとすれば、それは、まどかの事だけなんです。
まどか、全部知ってたんじゃないの。
根拠は無いです。無いんだけど、でも根拠の無いことってあるでしょ。
そう、ただ、楽しんでるだけ、とか。
ひとりぼっちは寂しい
僕は、登場人物達が好きになってしまったんでしょうね。
だから、物語的に納得できたのかも知れません。
だからこそ、ここで完結していい物語ではないと思います。
ほむらの行動が納得できない人は、ひとりぼっちだった記憶がなく、幸せな日々を送っているのかも知れないな、とちょっと思ったりしました。
いや、もしかすると、それに気がついていないだけなのかも知れません。まどかのように。
ひとりぼっちになるという事は、死以上、即ち悪魔になるという事だと思います。
それに気がついていない人が神様になるのでしょう。
どちらも普通じゃない。狂ってる。
でも、それが「愛」なんだと、そういうことじゃないかと僕は思うんです。
でも、一人では許せなかったことが、誰かと一緒だと許せるのかも知れない。
僅かだけど、希望はそこにあるかも知れない。
ただ、ほむらは知ってしまってるんです。
孤独がどういうものかを知ってしまっている。
この先、どうなるんだろう。
それを知る前、もしかすると、そのもっともっと前に戻らないといけないのかも知れない。
“楽しかった魔法少女時代"に誰が欠けること無く戻って、そこから強くなっていかないといけないのかも知れない。
再編後、何があったのか分からないのですが、ほむらも十分強いんですよね。マミさんと渡り合えるほどだし、杏子とは何やら口に出さない信頼感がある。
でも、どうしても、弱すぎた自分が許せないんだと思います。
まどかを何回も、結果的に自ら殺してしまった弱さを許せないんだと思います。
だから、もしかすると"魔法少女"などいなかった時代に戻らないといけないのかも知れない。
つまり、出会いをやり直すのではなく、出会いそのものを無くす、です。
そうなると、ほむらはまどかとの記憶を無くし、もしかすると、1週目で物語が終了してしまう。弱すぎる自身の死をもって。そのほうが、まだましだと考えるかも知れない。
そういえば、新編の最後、ほむらはキュゥべえをズタズタにしてもしょうがないんだけど、もがくようにそうしたのか、その後、自らも崖から飛び降りていた。堕ちてしまった。もう、どうでもよくなってしまったのだろうか。
そして、もしかすると世界をぶっ壊す事になるのかも知れない。悪魔ほむらが言っていたように。きゅうべえ、つまりインキュベーターはどうしたって地球に鑑賞してくる危険性があるのなら、いっそ、すべてを無くしてしまうほうが、ましなのかもしれない。その時は、魔法少女もいなしし、家族も友達もいないし、自分もいないし、インキュベーターも鑑賞できないけど、無だ。何もない。
そう考えると、もしかすると、まどかマギカは、悲しい結末かも知れない。
ただの人間としてのまどかが助かる世界。一人の人間としてのまどかがちゃんと一生をまっとうする世界。ほむらはそれを望んでいるのかも知れない。
つまり、魔法少女全員が魔女にならず、出来れば魔法少女にもならず、まどかも円環の理に導かれず、世界がインキュベーターに干渉されない方法を探す。
つまり、それって、何もない現実、つまり淡々とした日常。
そう、悪魔ほむらが作った再再編後の世界にとても近い。
そう、日常はとても尊いのだ。
僕たちに、早く穏やかな日常がおくれるように、そう望んでくれているのかも知れない。
でもそれは同時に、ほむらにとって悲しい結末に成りかねない。ほむらは誰にも理解されず一人ぼっちになってしまうだろうから。まどかは皆を救済するために神様になったけど、ほむらは皆を救済するために現実になったから。まどかが日常を生きる世界は誰かにとってもともと辛かった世界かもしれない。でも、それが現実なのかも知れない。
何故なら、この世界は、運で出来ているから。
誰かが幸せに過ごしているとき、別の誰かが不幸になっていることは、あり得る。
それを操ることなんて、やっぱり無理なのかも知れない。
そもそも世界を作り替えることなんて、出来ない。
僕たちは、そういう世界にいる。
そう、それが、現実だ。
でも、僕は嫌だね。
ほむらには、とにかく何よりまず、過去の自分を許してあげて欲しい。
何一つ上手く出来なかった自分を許してあげて欲しい。
自分を許してあげて欲しい。
ほむらを許してあげて欲しい。
悪魔を助けてあげて欲しい。
ほむらを助けてあげて欲しい。
何故なら、ひとりぼっちは寂しいから。
お願いします、神様。
おさらい
●劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語公式サイト
http://www.madoka-magica.com/
●パンフレットにも「ネタバレチュウイ」と書かれて封がしてありました。
映画を観る前に見ないほうがいいです。
新房昭之総監督、宮本幸裕監督、脚本の虚淵玄さん、キャラクターデザインの蒼樹うめ先生、鹿目まどか役悠木碧さん、暁美ほむら役斎藤千和さんのインタビューと設定画やイヌカレー空間画等多数。すごく凝った作りで、とても見応えがあります。
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