【10/18〜11/28】超PayPay祭開催中!解説・攻略・オススメはこちら!

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と少しの考察。

スポンサードリンク

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と少しの考察。

公開日に見に行って来ました。

良い悪い、救われた救われない、結ばれた結ばれなかった、回収していた回収していない、生まれた生まれていない、死んだ死んでいない、感動した感動しない、大傑作だった大駄作だった、誰々ENDだった誰々ENDではなかった、終わった終わってなかった、卒業すべき卒業すべきでない、等々、何を書いてもネタバレになりそうなので、ネタバレ無しで何かを書くことが難しい作品です。

その為、少しでも気になっておられる方は絶対に見た方が良いと思います。どちらにせよ、見ない選択はない作品です。絶対に見た方が良いです。絶対。

少しでも気になっておられる方、こんなブログなどここまでにして、今すぐ劇場に向かって下さい。

シン・エヴァンゲリオン劇場版
シン・エヴァンゲリオン劇場版 スタッフ
【ネタバレ注意】続きに「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の感想と少しの考察をネタバレありで書いております。ひとつのネタバレもなく見ていただくのがベストだと思いますので、本作品を未見の方は絶対に続きを見ないで下さい。今すぐ劇場で本作品を体験して下さい。ブログもネットもSNSも検索も見ないで見に行くのがベストだと思います。今後も何かを感じたら追記修正などしていきたいと思います。

 

●     ●     ●

●     ●     ●

●     ●     ●

●     ●     ●

 

スポンサードリンク

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と、少しの考察。

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と少しの考察。

 

ひとまず、どちらにしても絶対に見ていただきたいのは確かです。

どちら、というのは、何かネタバレ的なことを聞いてしまって、それが受け入れることができたにせよ、受け入れることができなかったにせよ、です。

 

確実に言える事は、僕も含め、誰かが言った何か、はあまり当てにならない作品だと思います。

ちゃんと自分で見て、今、現時点での自分がどう思うか確かめておいた方が良いように思います。

 

自分は、見ている間中、もしかしてこの作品は大傑作なのではないか、と思いながら見ていました。

特に農場のシーンやエヴァ対使徒のシーンなどは、エンタメの神様がずっと制作者の皆様の肩に触れているかの如く、奇跡的な描写だと思いました。

 

 

そうなんです、何より、エンターテインメントとして面白すぎます。

やっぱ、エヴァンゲリオン最高に面白いですよね、本当に面白い作品です。

だから、本作品を単体で見ても面白いと思います。エヴァンゲリオンをあまり見たことがなくても、僕みたいな感じで昔から好きだという感じでなくても、今からでも全然遅くないです。軽い気持ちで見て頂きたいです。

ただ、初見でも良いですが、できれば、序破Qは見ておいた方が良いかと思います。

 

その特大エンタメ作品としての強さや面白さがあって良かった、と申しますか、序破で感じられていたそれがQではあまり自分自身で感じられなかった部分でもあるので、それがシンエヴァで一番良かった所かも知れません。

ただ、序破とはまた違ったアプローチだと思います。

 

絵も綺麗で、描写も素晴らしく、音楽も主題歌も素敵です。

声優さんの技術やそうでない部分もちゃんと伝わって来て、見るものを圧倒しています。ちゃんと客席まで届いています。心底、圧倒されました。

何もかもが挑戦的だし、それが上手く機能しているようにも見えますし、とにかく、本作品を見ない選択はないと思います。

大エンターテインメントの最高峰の作品、という意味でも絶対に見ていただきたい作品です。

 

●     ●     ●

 

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と少しの考察。

 

でもただ、感想を書くにしても、過去の自分の事などを書かなきゃいけなかったり(別に書かなくてもいいんですけど笑)、思い出さないといけなかったり、それが個人的に少しキツいです。

例えば、僕がなぜ上京して、なぜ都落ちをして、それがなぜエヴァンゲリオンと結びつくのか、とかを誰かに話したくなるような映画です。

いつか話せる日が来るのかも知れませんが、つまり、僕にとってはそういう作品なのだと思います。

そう、僕にとって、エヴァンゲリオンは大切な作品なのでしょう。

つまり、大好きなんですよ、僕は。エヴァンゲリオンが。

 

僕にとってエヴァンゲリオンはそのような存在だし、ただ、でもそれはエヴァンゲリオンだけじゃないのも事実です。

あれから、僕にとってのそのような作品も随分増えました。それが本当に嬉しくて。

それも、この作品が言わんとしている事なのかと考えたりもしています。

 

様々な素晴らしい作品や人物に影響されたり反発したり、そうやって僕が出来上がって来たのでしょう。

そして、それをこの「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でもう一度向き合わないといけないように思いました。

少なくとも、それを促しているかのような作品に僕には見えました。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、今後もたくさんの素敵な作品に出会いたいと、そう、素直に思わせてくれる映画でした。

 

だから、感想を一言で言うなら「感謝」です。

ありきたり過ぎて、使い古され過ぎて申し訳ないほどですが、それが本当の本心です。

シン・エヴァンゲリオン劇場版に関わった全ての皆さま、本当にありがとうございます。

ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。

 

 

あと、特段、何か書いておくとしたら、クリエイターの皆様は話し合わずとも脳の一部が同調しているのか、最近、他の作品でも同じような問題を突きつけられました。

例えば、「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では全く違うアプローチから過去との向き合い方を強く考えさせられました。泣き疲れるほどの作品です。大変素晴らしく、未見の方は出来ればこちらもテレビ版から、ぜひ。

全く創造主はヒドいと言いますか、いつ何時も容赦がないです笑

 

●     ●     ●

 

 

劇中、ミサトさんが言う『子供が親にできることは肩を叩くか殺すかだ』みたいな言葉があって、僕はそうできなかったのでしょう。

だから、今、ここにいる。

 

本作品で、ゲンドウ(主人公シンジの父親)の個人的な想いが明かされます。

その想いは、すごくわかります。全てに納得できました。

結局、行動の原点はいつも、極めて個人的な想いから始まっているだろうし、それがないなら意味がないとも僕も思います。

誰かを巻き込むようなやり方は悪かったのかも知れないけど、僕はゲンドウを責めることはできません。

僕もたくさんの人を傷つけてきたし、僕自身も傷ついてきた、と理解しています。

 

そして、結局、僕はいつの日もゲンドウを肯定し続ける生き方をするのでしょう。

そして、シンジのようにそれを救うこともできない人間なのだと思います。

ただし、そばにいることはできるかも知れません。

 

ゲンドウとシンジの確執だったりは、僕はまわりのみんなはとても親切だったけど、でも、だからといってそれが自分自身にどう跳ね返ってくるかは自分次第のような気がしています。

少し考えてみたいと思いますが、いや、結論は出ているのです。

僕も歳を取ったということなのでしょう。

僕は、僕のいる場所で、僕にできることを精一杯やるだけです。

 

●     ●     ●

 

そして、エヴァンゲリオンという物語は最後、どうなったか。

僕は割と肯定的です。あの終わり方はありなんじゃないかと思っていて、だからこそ、大傑作だったのではないかと感じています。

 

なぜかと言いますと、まず、ちゃんと終劇してくれたからもありますが、テレビ版・旧劇とは違う道もある、というように多様性を示していて、尚且つ、シンエヴァの最後でさえ、その多様性の一つに過ぎないと言っているように思えたからです。

と申しますか、そうじゃないと、カオルやレイやアスカが本当に幸せなのかどうか分からない、という風に思いました。

 

後述しますが、僕自身いまいち分からない所が何箇所もあって、でもそれこそが人生やこの世界の多様性を促していて、その答えは自分で探さないと行けないよ、という事なのかも知れないとも感じています。

なぜなら、彼(シンジ)の最後=現実は、当然、僕に取ってのそれとは違うはずですから。

ましてや僕は、庵野監督ではないし、神木隆之介さんではないし、相田ケンスケ(ケンケン)でもありません。

残念ながら?僕は僕であり、それが生きるということの本質なのだと思います。

つまり、やることや考えることが増えただけで、また、ループしていると言えるのかも知れませんね笑

そういう所が、容赦がないと感じた所でもあります。

 

●     ●     ●

 

そして、最後、シンジにはマリがいる訳だけど(逆も然り)、そうじゃない人たちはどうすればいいのか、という風にも思いました。

それを誰かに聞くんじゃなく後はお前自身がやるんだよ、ということなのかも知れませんが、そういう風に現実を生きないといけないという風に捉えるか、いやシンエヴァの最後とは違う道もあるという風に捉えるかは、それぞれの生き方次第のように思えます。

つまりそれが、旧劇(EOE)だったり、テレビ版だったりということなのかも知れません。

 

過去を乗り越える方法だったり、が示されたのか、そうでないのかは僕には分からなかったです。

ただ、旧劇とは違う最後を選択したのは分かりました。

それは現実を上手く?生きている方(つまり結婚したり恋人がいたり友達がいたり家族と仲が良かったりする人)にとってはしっくりくる最後だったんじゃないかというような、穿った、斜に構えた、考え方もできるかも知れません。

 

そういう考えを否定しません。

その考え方はあり、だと思います。

なぜなら、僕も同じような考え方をしているからです。

 

ただ自分はそれとは全然別の考えで、最後の場面はまだ、全員助かってないんじゃないか、と言うような気もしています。(結婚しても別れてしまう場合もあるし、仲が悪くなる場合もあるし、そういうことも良くあるし、あんまり気にすんな大丈夫だよ何とかなるよ、みたいなニュアンスとも言えるかもですが)

特に、シンジはあれで正解なのでしょうか。

一時、ひとりぼっちで原画になったり、絵コンテになったり、メタ的な描写がして、神の視点というか創造主というか、そういうのになりかけたけども、マリが救いに来て、少し話をして、一緒に現実世界に行くEND、だと(僕の理解だとそう)思うんですけど、それでよかったんだっけ…?、と。

テレビ版のオープニング曲「残酷な天使のテーゼ」の歌詞のように、少年よ神話になるべき、とまでは思わないですが、シンジは自分の心の底ではそうなりたいのだと僕は思っていました。(大人になりたいのではなく、強くなりたいみたいなイメージです)

だから、少し冷静過ぎないか、大人になり過ぎてないか、と。そういうものだと言うなら、そういうものなのかも知れませんが、少し府に落ちない所ではあります。

 

そして、アスカやレイやユイやゲンドウやカオルは、本当に救われたのでしょうか?

彼ら彼女らは、本当の本当に救われたんですかね。僕には疑問です。と申しますか、いまいちその辺りが分からなかった所です。

 

ただ、ゲンドウはユイと共にいられるようになったのだと思うので、良いと思いました。死んだにせよ、救済されたにせよ、というか、そういう感じでゲンドウの最後はかなり府には落ちています。

本当は、ゲンドウはユイと現実世界でずっと一緒にいられたら良かったけど、というか、そうなるべきだったと僕も思いますが、それは出来ないのでしょう。そうは出来なかったという最後なのでしょう。それが現実というものなのでしょう。

 

シンジとゲンドウが変なところで戦っていたのも、現実&虚構ぽくて、だから変なCGとかもあったのだと思うのです。あれは演出だと思っています。そうじゃなかったら、ぶっちゃけ変なCGでした。

で、色々あって、ゲンドウはある意味で勝手に納得して勝手に救われたのでしょう。シンジを残して。それは良かった、と申しますか、ユイを本当に心の底から愛していたのでしょう、ゲンドウは最後までゲンドウだったのだということなのだと思いました。納得です。どこかで二人で幸せになっていてほしいです。

 

レイの髪の毛も伸びていました。14年間初号機で待っていたのでしょう。レイはクローンかも知れませんが、髪の毛が伸びていた事でリリン(人間)の何かが宿ったという事なのかも知れません。レイはシンジを好きになるように調整されていたけど、それはシンジの母として、そして、ゲンドウが自分のようにならないように仕向けたゲンドウの愛として、それから、レイ自身の想いとしても真実でもあった、と言う事なのかも知れません。シンジはずっと愛されていたのです。

 

レイに加え、アスカ・カオルも過去作品の場所とか、現実世界(スタジオカラー?それともどこかの大切なスタジオ?)もあったぽくて(スタジオっぽかったのはシンジとゲンドウの戦いの場面でしたっけ?)、とにかく、つまり過去と虚構と現実が入り乱れていて、色々出てきたぽかったですけど、それも、そういうのを超えて、現実世界か次の世界かシンジが救った(造った)世界か、そういう場所に行って救済されたという風に見えました。

 

ちゃんと、虚構の世界から現実へ促された、という風にも捉えることができるかも知れません。

それと同時に、監督や制作者の皆様や、関係者の皆様も現実の世界へ促されたと言えるのかも知れません。

 

でも、レイ・アスカ・カオルは本当に救われたのでしょうか?

ここから最後、少し考察の部分を書いて、本記事を終わりにしたいと思います。

 

●     ●     ●

 

【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想と少しの考察。

 

レイはカオルと村で暮らすのでしょう。確かに、それも良いと思うんです。

それは、ユイとゲンドウが現実世界で生き続けることそのもの、なのでしょう。

自然も農業も地域も人も友達も命を育むことも半径数メートルの暮らしも大切だし、働くことも大切です。

僕も大好きです。

でも本当にそれで良かったのでしょうか?

僕自身がそうなるなら、それでいいんです。今の僕のように。

でも、本当にそれがレイやカオルのやるべきことなのでしょうか。

いや、分かります、分かるんです。それは大切なことですし、もう、そうすべき時なのでしょう。でも本当にそうなのかな。

それが、本当にレイやカオルのやりたかったことなのかな。

 

それと僕は特に、アスカが本当に幸せになったのか凄く気になっています。

アスカは本当に幸せになったのでしょうか?

 

ユイに対するレイのように、式波も惣流(オリジナル?)のコピーということでした。それはなるほど、と思いました。

惣流はレイのように、シンジを好きになるように調整されていたのかも知れません。

でも式波はどうだったのでしょう。14年も経って、ネルフ以外で生活していると変わるものなのでしょうか。人のことを好きになることもあるのでしょう。基本は人間だから?髪も伸びるし、そういう描写もあったかと思います。

最後、旧劇の場所で告白していたのは惣流でしょうか?赤いプラグスーツでしたので。

でも式波は惣流に取り込まれたので、二人の想いが全て入ったアスカなのでしょうか。

それとも、式波と惣流とは別のオリジナルがいて、その全員が入ったアスカなのでしょうか。

どちらにせよ、グッと来ます。良かった、とも思える描写です。

 

僕は、アスカはシンジとくっつく?とまでは行かなくても、ずっと一緒にいるのだろうという風に考えていました。

でも、それが、凄くオタク的?な考えだとも理解しています。

 

アスカとシンジはお互いにあの時は好きだったと言い合って、それで分かり合えた、つまり過去と決別できたと申しますか、過去を乗り越えることができたということなのでしょう。多分、そういうことなのだと思います。

でも、本当にそうなのでしょうか。

 

『あんたが全部私のものにならないなら、私何もいらない』と言っていたアスカが?

一度、失敗して、首を締めて気持ち悪いとまで言われるほど自分をさらけ出したシンジが?

それをある意味で受け入れてくれたのもアスカだったのでは?

お互いを必要としていたのだと思うんです、つまり、それが旧劇のラストシーンなんだと思うんです。

 

でも、これは僕がアスカが好きだからこその考えなのでしょう。

多分、そうなのでしょう。それもちゃんと分かります。

でも。

シンジが言うアスカの居場所は、本当に”外”にあるのでしょうか?

 

●     ●     ●

 

あと、カオルに関しては、正直、よく分かりませんでした。

加持さんの上司ということなのでしょうか?ネルフ側の人間という事なのでしょうか?

 

カオル(のクローン?)はシンジのことを好きになるように調整はされていないと思うのですが、そもそもそういうことではないのでしょうか、とにかく、シンジを救おうとしたけどそれは間違いだったということらしく。

で、自分が救われたかっただけで、でもそれって父親のゲンドウと似た考え方のような気もするし、つまりゲンドウであり、シンジであり、ユイであり、という事なのでしょうか。加持さんの考え方にも似ているような気もします。

だから、カオル自身、もっとやらなければ行けない事が沢山あっただろ、と思うのですが、その物語が何も語られていないように思います。加持さん含め。

そういうこともあってか、カオルと加持さんに関しては上手く言語化できません。BD/DVDが発売されたり、アマプラにアップされたりしたら、また色々考えたいと思います。

 

●     ●     ●

 

あと、最後、マリが迎えに来るのは分かる気がします。

そう、確かに分かる気がするのです。

母親としてと申しますか、ユイの代わりとしてシンジのために母親の愛を、と申しますか。

 

俗的に言いますと、レイとアスカは青春の象徴で、実際に結婚するのはマリ、みたいに言えなくもないのかも知れません。

でも、本当にそれで良かったのでしょうか?

 

何故なら、マリもゲンドウのようにもう一度ユイに会いたいから?もっと言うとユイに好きになってもらいたいから?人類補完計画に協力して、自分のクローンを作って、でもネルフを裏切って、ユイの子供のシンジを救って、シンジと一緒にいることを選んで、、その先に、、ということなのだと思います。多分。多分ですが。違うのかな?

だから、マリの真意がいまいち分からないんですよね。

 

つまり、マリ(とシンジ)だけは終わってないんじゃないの?(終劇していない?)と思えるような最後にも見えたんです。

だって、つまり、それってマリの世界が始まっただけな訳じゃないですか。

(もっと言うと、これって、アプローチは全く違いますが、某作品の悪魔エンド(※某作品が思いつかない方は検索しないで下さいね。ある作品のネタバレになっています)にも似ているようにも思えますが、全く違いますよね。あっちの方が単純に救いがないように見えます。こっちは導いてくれているように思います。)

 

だからシンジ君をひっぱって現実世界に行って、そこでまた何かやらなきゃいけない事が沢山あるんじゃないの、と。

つまりそれって、シンジもマリもまだ現実じゃない何処かにいるという事かも知れないし、いや、そこは現実の世界でもマリの世界?という考え方もできるし、だからこそ、カオルやアスカやレイは置き去り、とまでは言わないですけど、本当に救済したのかな、と感じてしまった訳です。

 

●     ●     ●

 

でも、これってオタク的?な考えですよね。多分。

分かります。分かっているのですが、でも、ぶっちゃけ、5人+αでワイワイずっと一緒にいて欲しくないですか?

戦隊モノみたいに、一生続けばいいと思いましたよ、正直。笑。

(だからこその、シン・ウルトラマンなのでしょうか?)

 

でも、それは無理だよ、という制作側からの通達である「終劇」ということなのでしょう。

それも分かります。

分かるのです、それ(終劇)以降は自分でやらなきゃいけないってことも。

 

でも、そんなに簡単な事じゃないですよね、何かを終わらせたり、何かを始めたりすることって。

だから、庵野監督はやっぱり凄いです。

 

なのでぶっちゃけ、エヴァから降りてちゃんと自分の人生を生きろ、エヴァを卒業して次の電車に乗れって庵野さんは言ってる、とかどこぞの誰かに簡単に言って欲しくないんですよね。もっと言うなら、本人が実際そうおっしゃっていたとしても、それと僕の人生とは何も関係ないじゃないですか。

と申しますか、そもそも、シン・エヴァンゲリオン劇場版ってそういうテーマじゃないと僕は思っています。肯定だと思います。ちゃんと終わらせた、という過去や現在(今)や未来への肯定なんじゃないでしょうか。

エヴァから受け取るものは何か、と言うのは、僕自身の自由であり問題であり真実であり虚構であり現実である訳で、つまり、その上で、それでも、僕に何かできる事はないかってずっと思ってる、ということなんです。

 

ようするに、人生はまだ何もかもが始まったばかりだし、なんだってできるって思ったんですよ。

ようするに、人生は究極的には勝ち負けじゃ無いんですよ。

なぜなら、庵野さんだってそうじゃないですか。庵野さんがこの作品を25年間も必死になって自分自身もボロボロになるまで続けてきて、その先でちゃんとこうやって終わらせたことがその証明になってしまっているじゃないですか。

 

つまり、何かを始めるために、何かを終わらせる決断をした訳でしょう。

だから、過去の否定ではなく、完全な肯定ですよね、シン・エヴァンゲリオン劇場版の物語って。

だからこそ、絶望の槍(ロンギヌス)ではなく、希望の槍(カシウス)なんじゃないでしょうか。

 

だったら庵野さんだって、制作者の皆様や関係者の皆様だって同じじゃないですか。

僕たちはまだ生まれたばかりなんですよ、これからも何だって出来るんですよ、そう思ったんですよ、僕は。

シン・エヴァンゲリオン劇場版を見て。

それこそが僕にとって、手触りが感じられる唯一の現実なんだと思います。

 

ロンギヌスじゃなく、カシウスでもなく、それぞれ自分たちが持っている槍こそが、自分たちの希望な訳ですよ。実際。

僕が生きるこの現実では、僕が持っている槍のみが、僕の希望なんですよ。

 

●     ●     ●

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版

 

だから、僕はちゃんと幸せになる覚悟をして、そうなるような、そうなれるような人にならないといけないのでしょう。分かります。ちゃんと分かってるんです。

それは、ある意味ではミサトさんの覚悟と同じ事なのだとも思います。

僕が誰かの親になることができるかどうかは分からないし、誰かの大切な人になれるかどうか分からないけど、僕はちゃんと自分を、誰かを、幸せにする覚悟をしなきゃいけない。

自らの命をかけてでも。

 

でも、加持さんもミサトさんも生きているはずだし…

その二人と同じように、その子供とカオルくんとシンジくんは喧嘩でもしてるはずだし…

三人でエヴァに乗ったりするかも知れないし…

レイとユイとゲンドウの新しい世界は…

アスカのこれからこそ素晴らしいものであるはずだし…

そういうあれこれを考えるのは、エヴァンゲリオンから抜け出す事とは別のことだと思っていますし…

 

という、そういう風な考え方がもうがダメなのでしょうね。

分かってます。分かってるんです笑。

 

だから庵野監督には感謝しかないです。

庵野監督、本当にお疲れ様でした。

本当にありがとうございました。

ちゃんと終わらせて下さって、感謝しかありません。

 

少し時間がかかるもしれませんが、最近やっと、何かが少しづつ変化しているのを肌で感じられるようになって来ました。

その実感を持って、シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想も終劇とさせていただきたいと思います。

 

●     ●     ●

 

エヴァンゲリオン展

 

最後の最後になりますが、知りたいことと申しますか、単純な興味として、それを羅列して本記事を終わりたいと思います。

破とQの間の映像作品が見たいです。ユイとゲンドウの物語や(それがOne Last KissのMVと言えるかもですが)、カオル君関連の物語、加持さんミサトさんの物語、レイとシンジの物語、惣流と式波関連の物語などなど、そういうスピンオフムービーも見たいです。

何か思いついたら、また、追記したいと思います。

 

庵野秀明総監督をはじめ、スタッフの皆様、関係者の皆様、演者の皆様、本作品に関わった全ての皆様、本当に素敵な作品をありがとうございます。

エヴァンゲリオンは、おりに触れ思い出すであろう、大切な作品群になりました。

今後も、テレビ版、旧劇場版、新劇場版等々、時々見直してたりして、ゆっくり生活して行きたいと思います。

感謝しかありません。

ありがとうございます。

 

P.S.シン・ウルトラマンも絶対見にいきます。

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版
シン・エヴァンゲリオン劇場版 スタッフ

コメント

タイトルとURLをコピーしました