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【ネタバレ注意】舞台「みつあみの神様」の感想。

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みつあみの神様

 

今日マチ子先生が描かれた、「みつあみの神様」という漫画があります。

「あの日」から、ひとりになったみつあみの女の子が住んでいる世界の物語。

その物語が舞台化されました。

とても印象的な舞台。

簡単ですが、感想など書いてみました。

 

【ネタバレ注意】
続きに、舞台「みつあみの神様」を観た感想を書いています。
原作本を含め、物語の内容に触れて書いている所があり、まだ見ていない方にとってはネタバレになってしまうかも知れませんので注意してください。出来れば事前知識なしで、原作本舞台映像を見て頂いたほうがとても楽しめると思います。
ネタバレが気になる方、「みつあみの神様」の内容を知りたくないという方など、絶対に続きを見ないでくださいね。

 

 

みつあみの神様

 

大変な場所に来てしまった、と、そう思いました。

何故なら僕は、自らではなく、歴史が何かを刻むまで待っていようと思っていたからです。

だけど、決して、何らかの答えを求めている訳ではないのだと思います。

 

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舞台へは原作を見ずに向かったのですが、想像していた内容とは全く違っていたので、かなり衝撃を受けました。

ざっくり言うと、何か大変な出来事が起こった場所近く、1軒家に1人で住んでいる「みつあみの女の子」。その子は後に、別世界の人間が生き残る為だけに存在していることが判明する、といったような物語です。

でも、それがこの物語のすべてを表現しているかと言われれば、そうじゃないと思います。

この世界には神様もいるし、大切な人もいるし、全然知らない人達もいる。

手袋もいるし、枕もいるし、風船もいる。

その何もかもが神様なのかも知れないし、そうじゃないかも知れません。

ただ、それだけの事なのかも知れません。

だから舞台が終わってすぐに読んだ原作本の最後、今日マチ子先生が描かれていた言葉がとても印象的でした。

その時、少しだけ、安心したのを覚えています。

だからこそ、未読の方は出来れば原作本も読んで欲しいと、そう強く思いました。

 

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その原作本には、デレク・ジャーマンという映画監督の「庭」という映画の舞台を借りた、と言ったような事も書かれてありました。

その「」の近くにも、発電所があったそうです。

 

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「みつあみの神様」は、何も話しません。

周りのモノ達、例えば風船や手袋や枕、が言葉を紡ぎ、声優の皆さんがその言葉を発します。

サンドアートが風景を作ったり壊したりしながら、少しずつ物語を形作って行きます。

音楽は、「久しぶりに、この世界で歌をきいたわ」というその一瞬の為だけに存在していたのかも知れません。しかし、全編にわたり生演奏で流れ続けたその歌や音楽に、僕は、何度も何度も、この世界に音楽が存在する必然性を確かめていました。

物語は後半に行くに連れて、ダイナミックに変化します。

秘密が判明し、知らなかった事が知れ渡り、否応無しに自分もそれに巻き込まれて行きます。

説明しても届かない事もある、楽しみが奪われる事もある、争いも起こるでしょう。

大切な人は遠く、いつもひとりぼっちで、思い出ばかりが募る事でしょう。

それでもモノ達は、今日もあなたの為だけに存在している。

あの日、同じように自分を犠牲にして誰かを助けようとした人が沢山いたでしょう。

人はいつか灰になり土に還ると聞いた事があります。

モノもそうなのでしょうか。

あの、高く積まれたモノ達もいつか、どこかに還る日が来るのでしょうか。

 

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諏訪部順一さんは、圧倒的でした。

声はもちろんですが、例えば、呼吸だとか間だとかそういう無音の場所から物語に入って表現されている感じを受けました。

それが説得力や内に秘めた強さ、ある意味での絶望感に繋がっているのか、もちろん僕には芝居の難しい事は分かりませんが、とにかく、そういう面で非常に圧倒されましたし、圧倒的に感じました。

個人的には、ポストが一番好きです。

独特の強さがあったし、何故か、演者の感情が必然的に乗ってしまったかのようにも感じていました。

 

小林裕介さんは、場をひっ掻きまわすかのような存在で、声色もどこか開放的にされている感じを受けました。

物語の重さと対になるような明るい役どころが多かった印象ですが、すごく馴染んでいて、ある意味で、とても柔らかかった印象です。

物語上の立ち位置だとか、そういった場を和ませる芝居がとても複雑で、だけどそれを感じさせない柔軟性に溢れていました。

だからという訳ではありませんが、個人的には、枕が一番好きで、いやだからこそ、枕の事が好きになってしまった、と言った方がいいのかもしれません。

色んなものが染み込んでいるのだな、と、その時、そんな事を思ったりもしていました。

 

花澤香菜さんは、本当に優しい声でした。

耳を傾けている内に、空気が段々と優しくなって行くのが感覚的に分かって、本当にビックリしてしまいました。

声色的には一点突破なのかもしれませんが、それが長時間、広範囲に持続的に響く遠距離魔法のようです。

役どころでは、ぬいぐるみが一番好きですが、それそのものに何かしら意味が帯びてきてしまうのは、その声の宿命なんじゃないか、とも感じました。それとも、段々とそういう風になっていくものなのでしょうか。

だからという訳ではありませんが(原作を読んで行かなかった事もあって)、花澤さんが「みつあみの神様」役とばっかり思っていたのですが、そうでなかった事がむしろ、僕にとっては救われた気がしていました。

 

伊藤花りんさんのサンドアートは、破壊と創造を繰り返す中、なんとか答えになるようなものをずっと探しているようにも見えました。

景色の変化やタイトルも感動的だったし、小林さんとの絡みもすごくワクワクしました。

演出の凄みも分かりやすく魅せてくださるし、アニメーションとの繋がりもとても素敵でした。

ほとんどすべてが見せ場の舞台で、自然の力も借りながら、その一つ一つを丁寧に表現する姿に、決意のようなものを感じました。

砂というものが何で出来ているのか僕はよく知らないのですが、そこから生死を感じたりもするもので、とても不思議なものです。

 

青葉市子さんが奏でる音楽、生演奏に引き込まれてしまいました。

ピアノやギター、歌で、サンドアートと朗読を支えながらの表現に強さも感じていました。

僕はやはり、あのテレビのシーンで音楽を肯定してくれたように感じた所が、僕自身もうれしかったし、それを積極的に表現されていたように感じられた所も、歌詞からも、そんな風に僕が勝手に受け取っていただけかもしれませんが、色んな事が嬉しく思いました。

今の音楽が後に、別世界の人間が生き残る為だけに存在していたとしても、それは、僕は悲しい事ではないと思います。

でも、それを表現することはとても難しい事だと感じています。

だから、本当に凄いと感じました。

素敵でした。

 

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原作者の今日マチ子さんを始め、藤沢文翁さん、板津匡覧さん、本広克行さん、演者の皆さん、関係者スタッフの皆さん、本当に素敵な舞台をありがとうございます。

2日間だけだったので、映像化がとても嬉しいです。劇場で予約してきました。今から届くのを楽しみにしています。

最後に少しだけ、この物語への僕の想いを書いて、終りにしたいと思います。

 

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神様が死んで、僕たちひとりひとりに思い出を残してくれたとしても、僕も、これからも悲しみは無くならないと思います。

もう会えない人にも、もう会えないのだと知っています。

でも、僕は「希望」という言葉が好きです。

その無責任さも含めて。

あなたが誰かの一部になる事に少しでも迷いがあるのなら、せめて命をまっとうした後にそうなるように、その方法を一緒に探したいのです。

そもそもそこは誰のものでもなかった場所です。それでも、あなたがそこにいたいならそうできる方法を一緒に探したいです。

あの男の子が何か新しい世界を作るのでは、と。そして、また迎えに来るのではないか。誰も思いつかなかったような解決策が、この先に存在しているのではないか、とそう思いたい。

原作でカメさんは生きていました。何故、カメさんは戻ってきてくれたのですか。「さよなら」の言葉を聞く為だけに、ですか。

それって、「希望」そのものなんじゃないですか。違いますか。みんなだって、心の奥底では信じてるんじゃないですか。

だから、「逃げろ」と言ったんじゃないんですか。

舞台では、そこまで語られていなかったかも知れません。でも、僕はそう思いたいのです。

僕は、みつあみの神様を助けたいです。外の住人も助けたい。

何故なら、あなたは神様なんかじゃない。僕の大切な人だから。

あなたが嫌だと言おうが、何と言おうが、一緒に解決策を探したいです。

今度は、絶対に手を離すことはしません。

絶対に。

 

 

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「みつあみの神様」公式サイト

舞台「みつあみの神様」公式Twitter

 

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